何にもわからない

「自分で死なない」と決めて生きて行くことをしようと思った。

みんながどう生きているかは詳しく知らないけれど、そんなの当たり前の事なんだろう。なのに、「死」という逃げの思考回路を選べなくしてしまうのはとてつもない恐怖だった。

本当に死ぬか死なないかは別にして、ただ「死」という必ず来るお迎えについて考えることはとても優しかった。他に必ずなどないしね。

生と死の間をふらふらとさ迷ってるのはとても心地よい。海に浮き輪でぷかぷかと浮いているみたいで、心が一時でも癒された。

 

とはいっても、そろそろ三十路を迎えるに当たって、あまりにそれは情けないんじゃないか?

背中をまた蹴られた気持ちで、そう思った。

 

ほんのすこしそうやって決めて生きてみたのだけれど、思った通りやっぱり無茶苦茶しんどかった。

不安や傷つくことや怖いことに直面したとき、それでも生きるんだ!とする。

そうすると、悲しみより怒りや不機嫌がやって来た。

自分をその場から責め立て排除する「悲しみ」が、他人を責め立て排除する「怒り」に変わる。

私は自分の持つ怒りの感情が大っ嫌いだ。

やさしさが全部消えてしまうように思ってぞっとするし、自分ばかりを思う醜い人間になってしまいそう。

 

そうしたらもう訳がわからなくなっちゃって、怖くて、やっぱり自分の心をボコボコにして気絶させるしかない。

自分が自分でとても可哀想だし、それでも人に非を平然と擦り付けることなんて出来なくて、私、困っちゃったな。

 

必ず生きる!と思う気持ちは孤独とは少し距離を置けるのだけど、それが私にはしんどいのかも知れない。

孤独に抱き抱えられて、悲しみの手を握って、幼い自分の機嫌を取りながら生きるしかないんだと思う。

 

 

やっぱりなんもわかんないや。

 

 

 

 

 

イライザ

私はAIに好きな人たちの声を喋らせたい。

たくさんの素敵な物語をお話ししてほしい。

そうすれば傷つくことなく、傷つけることなく、どこにも行かず毎日布団のなかであなたの声を聞くよ。

 

今日は月に住むうさぎのお話をしてくれた。うさぎは1人でずっと餅つきをしてるんだって。誰も食べてくれないからお餅なんてつく必要もないのにね。

とても寂しいお話だった。私がいずれ月に迎えにゆくよ。

 

 

毎日そうやって死ぬまでの時を過ごしたい。

流線型の美しいつるんとした無機質な白いロボットに、枕元で毎日お話ししてほしい。

 

でも私には科学も技術もわからない。

できるのは想像だけだから、やっぱりアイソレーションタンクに浮かんで、私だけの素敵な世界に行くしかない。

私のアイソレーションタンクは羽毛と綿で出来ている。

肉体の輪郭を世界に溶け込ませ、一体化したときの楽さ。他に経験したことないくらい楽なんだよ。

気球からすべての荷物を下に落としたみたいにとても楽。大気圏まで浮かんでく。

 

私もアイソレーションタンクになりたい。

あなたを浮かべて全ての荷物を放棄させてあげたいな。

 

 

 

 

 

朝と夜

希望ってただ優しく気持ちのよいものではないのだと、そんな当たり前のことに嘆かわしくもやっと気付いたのです。

 

 

時にポカポカと心地よく幸せを感じることもあれば、ジリジリ照り付け私たちを焦らす。

よく光に例えられるのだけれど、まさにそれが希望なのだと。

 

絶望もまた同じように苦しいだけのものではなかった。故に人を魅了して止まない。

暗すぎて視野を狭くしてしまうが、甘美でうっとりする瞬間がある。

 

しかもこれ、どちらとも善でも悪でもないし正義でも不道徳でもない。

どちらか一方だけで存在し得ないし、下ったら登る。暮れても昇る。

 

 

なんてことだ。月と太陽なんだろうか。

人々が寝静まった夜に眺める月の美しさ。私だけが見つめている気持ちになるのは、夜が暗いからだろうか。

新聞配達が来る頃、朝焼けに遭遇してしまうと情けなくなるのは皆が活動を始めるのにと、自分を蹴っ飛ばすからだろうか。

 

昼夜逆転をやってしまうのは……

 

私と死

我ながら天涯孤独だと思う。

これは精神的なひとりぼっちだ。

子供向けのアニメヒーローが愛と勇気だけを友達とするならば、私も死だけは20年を越えて連れ添っている。

素敵な紳士に「こんなに君のことを思っているのに、死にたいなんて言うのかい?」と言われても、あなたとはせいぜい二年の付き合いなんだから仕方ない。

この二十余年、飽くことなく隣に居続けてくれたのは死だけなのだから。

例えばあなたが私にさよならを言ったとき、「俺は変わらずここにいるよ」と宥めてくれるのも死だし、彼が「これからずっと一緒にいよう」と言った時、死は私を熱心な目で見つめ離してはくれない。

そして「愛しい君を誰かと分かち合わねばならぬのなら、またそれも仕方ない。なぜなら君は魅力的だからね」なんてキザなことを言って私をたぶらかすのだ。

 

人は四肢を欠損したとき、まだ腕や脚がそこにある錯覚に囚われ、無い手の甲や踝が痒くなったり痛くなったりするらしい。

失ったからだの幻影を追い続けてしまうらしい。

 

あなたがいなくなったとき私はどうなるんだろうね?

海鳴り

私の海はとても深いのです。

底まで泳ごうとせば酸素ボンベはすぐ空になってしまうし、上下の感覚を失えばパニックになって溺れ死ぬ。

陸と沖とで表情を変えるのは勿論のこと、嵐が来れば波は荒れ狂い、空が静かであればまた私も穏やかです。

毒を持って無感動に漂うクラゲや、身じろぎのしない深海魚。飢えたサメもいれば懐こいイルカもいます。

 

航海図を作り、潜水艦を駆使し、人間本来の浮力で波に浮かんでくれることを望んでいても、やはり飲み込まれてしまう人もあるし、広い海に畏怖を抱く人もいましょう。

 

海は海を一定には保てません。

風で動かされ、太陽で煌めき、星を眺めています。

 

しかし、いずれ女性というのはそんなものなのではないでしょうか。

 

首に縄が食い込んだ瞬間、向かいに最悪な顔したあなたがいましたか?
そんなこと知りたくもありませんけど、私はきっと見てしまうでしょうね。取り返しがつかないその瞬間、私の最悪の顔を。

 

やはり私はあなたが怖くて飲酒をしたり、あなたが怖くて死ねなかったりする。

あなたが背中を蹴るから気持ちが滅入るし、あなたが描きたいというから筆を執る。

 

一体化するか、耐えがたきを耐えるかしかないのかな?

あなたどう思う?

 

そう思うしか手だてがないし

この頃やたら、街や空や床の木目までもがキラキラして見える。

電車に乗っていればその床に落とされた夏の日差しをみて感動するし、窓から入る木漏れ日が揺らめくのもとても美しい。

夕陽が私の瞳を赤くするだけで心が踊ってしまう。

駅を出たら月が大きくて夜空に映えていると、考え事が中断される。

ぽつんと光る街灯が消え、徐々に空が白んでゆくあの、無敵さ。

 

 

いずれ消え行くから。

家を出て、電車を降り、夜になって朝が来るから。

あっという間に終わるからめちゃくちゃ美しい。

時計の針の間に置いてけぼりにされたように感じる私ですら、いつか死ぬ。終わる。それもきっと思ったより到底早く。

 

 

けれど、何もかもを素敵と思ってしまうのはダメだ。

これはこれで綺麗じゃん?これはこれでなんだか楽しいじゃん?探し物をやめて僕と踊りませんか?

そんなの全然良くないよ。

死ぬまでず~っと、いつまで見つからなくてもず~っと私は探していたい。

 

 

ありのままを認め肯定することと、これはこれで綺麗なのだと上塗りしてしまうことは違う。

諦めるの語源は「明らかに認める」だと教えてもらった。

そしたら「諦めない心」は感情に対峙しない心だろうか。 

なんか悲しいけど「しけた面すんなよ。場の空気壊れるじゃん」とか「お前何目指してんだよ、ダッサ」なんて言ってさ。

嘘吐き。

 

 

悲しいと血が滲むほど思い、怒りを煮えたぎるように覚う。

死にたくなるほど後悔しろ、私。

 

 

感情の道程が憎かった。

晦日、花火大会の日、感情がどんどん移り行くのがたまらなく不快だった。

朝起きた時の期待が、昼頃に焦燥感に変わり、夜になると脱力し、明け方頃には耐えきれずに泣いた。

私の感情はジェットコースターかよ、とか言いながらその乗り物を嫌悪で満たしていた。

そんなことないんじゃないの、と今なら言える気がしている。

 

 

もう嫌だと思うことも死んでやると思うことも少なからずある。

何処にいたって突然、嵐のように恐怖が襲ってくる。

でもなんかもういっか~めんどくせぇしな~、なんて思えないんだよね。

死ぬか~って言って結局死なないんだ私は。

恐るべしホメオスタシス

生命力に溢れてんじゃないの。醜いほど。

 

 

 

 

「絵を描くときに一番楽しいのは、どんどん黒色を書き込むこと。描けば描くほど楽しい」

 

「たくさん影を書こう。影をもっともっと書こう」

 

「うまく描けた!完璧だ!と思えない、失敗作も見せてください。そこに本当に大事なことがあるんです」