運転手

目の前を過ぎて行く車の運転手をちらりと見ては、その人の生活を想像していた。

 

中学生くらいからか、もっと前からか。

もはや好んでやっているのか、癖なのかもわからないくらいよくやっていた。

 

ヘッドライトがきれいだった。テールランプは悲しかった。

私はセーラー服を着て、吾妻橋前の信号を待っていた。

色とりどり、様々な種類の車が行き交う。

仕事を終えて家路に着く為、あるいは遠くの地へ積み荷を運ぶため、もしくは観光か。

 

トラックの男性運転手はどんな部屋に住んでいるだろう。

アパートで独り暮らしかな。

一人でビールを飲んでカップ焼きそばを食べたりするだろうか。

 

赤い乗用車の女性は家庭が待っているのかも。

子供は反抗期で夫はいつも帰宅が遅いけど、それでも大切に思っているかもしれない。

スーパーで買った鍋の具材なんかを積んでたりして。

 

流行りの車種の中笑う若者立ちは、きっと予定を合わせてこれから遊びに行くに違いない。

まだ知り合ったばかりで楽しくてたまらない時間が過ぎていたら良い。

かけるCDも流行りのものだと思う。

 

 

運転したことのある方々であれば、なんとなくわかって頂けると思うが、車の中というのは特異な空気が流れている様に思う。

己の足で地面を踏みしめ外界に触れるのとは違う、あの空間。

ある種プライベートな安らぎと共に、ガラスを隔てて社会が確かに存在してる。

そして徒歩より果てしなくスピードが出る。

どこまでも行ける、ここではないどこかへ行ける。

 

彼らが感じているかいまいかは別として、車の運転手の表情というのは割と豊かである。

だから私は目の前を通りすぎる車から目を離せずにいた。

 

あれから10年も経つが、妄想癖は消えない。

寧ろ酷くなる一方で、実際に目の前に存在しないような人のことまで想像してしまう。

 

テレビでタレントが田舎の住民に話しかけているところを見ては、気分が落ち込む。

活動歴の長いベテラン歌手を見ては、その背後にある歴史のようなものに押し潰されそうになる。

 

自分の感情を整理する間もなく、次から次へと他人の表情や声色が、私の頭の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜていく。

全く正解のない押し問答が死ぬまで繰り広げられるのだ。

 

こんなのはもううんざりだ。

人となるべく関わらず、テレビを着けず、布団に包まっていよう。

 

ダメだった。

 

全然遮断ができない。

自分の心の中で過去に見知った、いや、想像上の人々までが騒ぎ始める。

波のようにうねっては、肩に積もる雪のように姿を変え、全く手に負えない。

 

こんなことってあっていいの?

総てが私の頭の中だけで繰り広げられていて、依然として部屋は静かだった。