色のついた眼鏡

ここ数年来の輝きを感じて目が覚めた。最高の気分だった。

生きているってこのことかもしれない!と思えたし、嫌なことも乗り越えていけるような希望の光だった。

30分くらい経って、嘘みたいに真っ暗になった。

「外が晴れている!………けど出掛けても用事も会う人もいないしな」

そういう気持ちでカーテンを締めたんだろう。

 

“要は気の持ちようだよ!”よく言われてきたことだ。

環境が変わるのでなく、自分が変われと。

前向きになれば見える景色も変わるんだよ、と。

文句を言って何になる?とさ。

その垂れ流した排泄物のような説教に、ひとこと言わせてもらおう。

 

非常に馬鹿馬鹿しい。

 

お前は、お前から見れば、そりゃあさぞかし私の生活も良く見えることだろう。

それはお前の色眼鏡を通して見て、だろ?

私の色眼鏡で見させてもらえば、お前の生活は悪だね。地の底みたいだよ。

あなたのようになることを恐れて、今この現状に苦しくもがいているのだよ。

 

 

 

“本当はこのままで何もかも素晴らしいのに”

 

ここで注目すべきは“~のに”の部分であることを私は言いたい。

これがもし“本当はこのままで何もかも素晴らしいんだよ”だったら、と想像して欲しい。

もう少しきちんと文字を読んでから、口を開いて欲しいね。 

 

あなたが対価を払わずに誉めた『悲しみの果て』の前には『遁生』があったことを、あなたには知られたくない。

 

カーテンを締めずに扉を開ける日は、いつかくる。

でもそれは強要されることではない。

無理やり引っ張り出されたら心地よいお日さまも、ギラつく太陽に変わってしまうよ。

 

どうかあなただけの“眼鏡”を大事にして欲しい。