祭りのあと

朝起きてカーテンを開けたら、もう三月も終わるというのに新雪が景色を白くしていた。

きっとこの日を目標に日々を耐えてもいいのだ、と思えることが終わった。

本当にそれは目標などと呼べるものだったのか。騙し騙し言い聞かせていただけなんじゃないの。

誤解して頂きたくないのは、目標としてきた日々の楽しさや素晴らしさがちゃちなもんではなかったということ。つらいとか孤独とかを意識せず過ごせる日々だった。生きていることすべてを凝縮して感じられるような二日間だった。もちろん。

さりとて過ぎてしまえばやはり「だからといって私が何か成功を収めたわけでも、あの日に向かって努力してきたわけではない」と強く思ってしまう。

「予定としていた楽しい日」以前も以後も何も私は、私の生活は変わっていないのだから。ただ子供のころの夏休みのように、お祭りの日まで「あと何回寝たら…」と待ち望み、ただその日が終わっただけ。

はて、では、子供のころはそういう気持ちを如何に乗り越えてきていたのだろうか。

ひとつなにか違いを見出すとせば、あの頃は生きることの目的など考えずに生きていたのだろう。ただ時間が来れば食事をし、学校へ行き、ゲームをして、部屋を散らかせば親に怒られる。そういうシンプルなものだった。全部、意味なんてなかった。

「そんなふうにシンプルに生きてゆけばいい」

あなたはそう思われますか?

私は無理です。一度育て上げてしまった虚無はもう二度と、死ぬるまで枯れることがないのです。

窓の外、雪を積もらせた木々の幹一本一本に「自殺しろ」と書いた紙が貼られている。

「死ぬなら、死ぬのなら今じゃないのか?」と降り落ちる雪のひとつひとつが私に言っている。

 「この苦痛は一生終わることはないのだぞ」と、私の独り言が部屋の中ぽつんと響いている。