何にもわからない

「自分で死なない」と決めて生きて行くことをしようと思った。

みんながどう生きているかは詳しく知らないけれど、そんなの当たり前の事なんだろう。なのに、「死」という逃げの思考回路を選べなくしてしまうのはとてつもない恐怖だった。

本当に死ぬか死なないかは別にして、ただ「死」という必ず来るお迎えについて考えることはとても優しかった。他に必ずなどないしね。

生と死の間をふらふらとさ迷ってるのはとても心地よい。海に浮き輪でぷかぷかと浮いているみたいで、心が一時でも癒された。

 

とはいっても、そろそろ三十路を迎えるに当たって、あまりにそれは情けないんじゃないか?

背中をまた蹴られた気持ちで、そう思った。

 

ほんのすこしそうやって決めて生きてみたのだけれど、思った通りやっぱり無茶苦茶しんどかった。

不安や傷つくことや怖いことに直面したとき、それでも生きるんだ!とする。

そうすると、悲しみより怒りや不機嫌がやって来た。

自分をその場から責め立て排除する「悲しみ」が、他人を責め立て排除する「怒り」に変わる。

私は自分の持つ怒りの感情が大っ嫌いだ。

やさしさが全部消えてしまうように思ってぞっとするし、自分ばかりを思う醜い人間になってしまいそう。

 

そうしたらもう訳がわからなくなっちゃって、怖くて、やっぱり自分の心をボコボコにして気絶させるしかない。

自分が自分でとても可哀想だし、それでも人に非を平然と擦り付けることなんて出来なくて、私、困っちゃったな。

 

必ず生きる!と思う気持ちは孤独とは少し距離を置けるのだけど、それが私にはしんどいのかも知れない。

孤独に抱き抱えられて、悲しみの手を握って、幼い自分の機嫌を取りながら生きるしかないんだと思う。

 

 

やっぱりなんもわかんないや。