主体
自分のことにしか興味ないからさ
そう言える人って案外少ない。
そしてそう言ってしまうことを「美しくない」だとか「自分勝手」と揶揄する人は結構多い。
だけど、私は「自分のことにしか興味ないからさ」って言い切れてしまうこと、カッコいいと思う。
皆、人の気持ちに添って行動や言動をしていないかい?
この場面ではこう発言するべきだ、とか、この人はこうして欲しいんだろう、とか、そんなこと考えて生活してしまうことは多いように思う。
だから、本当はやりたいことと自分の気持ちがズレて疲れちゃう。
そしてそれは責任転嫁できるし楽なんだ。
人々が他人の意に添ってやろうとしてしまうのは、不自由の中に安堵があるからなんじゃないのか。
友達に嫌われないように同調しとこう。母親に怒られないように歩く道を決めよう。
同調していても仲違いすることはあるし、怒られないように行動した結果それでも理不尽に怒られることがある。
でもそれは相手に合わせたことだから、「なんで皆そう言ってたのに!」と言えるし、「お母さんがこうしろっていったんじゃん!」と自分は悪くないと主張が出来るのだ。
自分のやりたいことやるなんて、自分勝手だ!としてしまうのは、僻みや嫉妬じゃないのか。
私は気持ちを押し殺して皆の為にやっているのに!と思っているのじゃないのか。
私は他人に無理して合わせてもらうことが嬉しいとは思わないね。
自分勝手にやるのと、自分の気持ちを尊重するのとは違う。
言葉をひとつ受けとるのに勘違いとか偏見、決めつけをしてしまいがちだけれど、私はもっと深く深く考え続けたい。
「精神力が強い」と言えば何事にもへこたれない鈍感なやつと思い、「自由にやるぜ」と言えば気ままに苦のないことに感じる。
精神力が強いって、苦しみも悲しみも挫折も感じながら、それでも考えもがき向上していく力が強いことを言うのだ。
自由にやるぜって、自分の気持ちを誤魔化さず行動しすべての責任も己で請け負う、強い意思だ。
自分で感じ、自分で考え、自分で動くことはすべての責任が自分に返ってくるからしんどい。
だけど、私は人の気持ちを生きるなんてつまらないと思う。
自分の責任くらい、本当は自分で負いたい。
そして心を無視せず自分のやりたいこと、仲良くしたい人、行きたい場所へ向かいたい。
いつか「自分のことにしか興味ないからさ」って本心で言えるように、自分の心に基づいてやっていきたいよ。
人の気持ちに添って生きて「なんだよ!うまくいかなかったじゃん!」なんて言いながら死にたくない。
もっと言えば「案外幸せだったな」なんて思いながら死ぬのは御免だ!
自分のやりたいこと何もかもやった。自分の人生を本気で生きれた。
そう思って死にたい。