冗談で済まない話

これは本題とは関係ないのですが、SNSで言うようなことでもないので絡めて書きますね。

 

私の好きな邦楽ロックの楽曲で「俺の道」というのがあるんです。それがどうしても今まで最後まで聞けなくて、よくシャッフルなんかでは飛ばしてたんですよ。「この叫びがなんかね」とか言って。周りも知ってたから、「あ~、○○ちゃんの嫌いなやつだ(笑)」とか言うくらいに。

特に理由もなく音とかなんかそんなものの好みの問題としていたんです。聞くのが何となく怖いから。でもこれ、かなり苛烈な自己叱責、もしくは叱咤の歌なんですよね。理由があった訳です。もう分かりやすい程の。

叫びだけじゃなくて小声の部分もかなりしんどいんです。

「でも信じることはやめるな な?」と歌うlive映像を見て、苦しすぎて息を止めてしまって、更に苦しくなった。それくらい苛烈なんです。

勿論それが他者の産み出した作品であり、作品である以上、作者の手を離れたものと想定した上での話ですが、表現力の凄みですね。

私の心のなかにすーっと入って、私の自己叱責に刷り変わってしまう、そういう凄さ。

 

 

それで、あ、私はしんどいと思って生きてきたけど、実はしんどさとちっとも向き合っていなかった、と気が付かざるを得なかった訳です。

 

逃げて逃げて逃げまくって未だずっと此処にいるんじゃないか。そんなことは自明の理であったにもかかわらず。

 

今ようやく自分を知ろうという段階にあって、これはまだ戦支度の段階であるということ。カッコつけて言ってますけど、情けない話なんです。

 

つまりは戦いの相手のぼんやりとしたシルエットは見えているもの、正体すら不明なんですよね。

準備段階として、これから「私はどう生きたいか、どう死にたいか」を知り、「そこに至るには何をすべきか」を考えないといけない。

面倒くさいし、簡単にわからないし、なんとなくしんどいから遠ざけていたら、悲しくもとっくに成人していました。

 

 

あなたはどう死にたいですか?

何と戦ってますか?

武器と防具はなんですか?

 

そしてこれはきっと死ぬ間際に出る結論かも知れないけれど、

 

勝敗はつきましたか?