そう思うしか手だてがないし
この頃やたら、街や空や床の木目までもがキラキラして見える。
電車に乗っていればその床に落とされた夏の日差しをみて感動するし、窓から入る木漏れ日が揺らめくのもとても美しい。
夕陽が私の瞳を赤くするだけで心が踊ってしまう。
駅を出たら月が大きくて夜空に映えていると、考え事が中断される。
ぽつんと光る街灯が消え、徐々に空が白んでゆくあの、無敵さ。
いずれ消え行くから。
家を出て、電車を降り、夜になって朝が来るから。
あっという間に終わるからめちゃくちゃ美しい。
時計の針の間に置いてけぼりにされたように感じる私ですら、いつか死ぬ。終わる。それもきっと思ったより到底早く。
けれど、何もかもを素敵と思ってしまうのはダメだ。
これはこれで綺麗じゃん?これはこれでなんだか楽しいじゃん?探し物をやめて僕と踊りませんか?
そんなの全然良くないよ。
死ぬまでず~っと、いつまで見つからなくてもず~っと私は探していたい。
ありのままを認め肯定することと、これはこれで綺麗なのだと上塗りしてしまうことは違う。
諦めるの語源は「明らかに認める」だと教えてもらった。
そしたら「諦めない心」は感情に対峙しない心だろうか。
なんか悲しいけど「しけた面すんなよ。場の空気壊れるじゃん」とか「お前何目指してんだよ、ダッサ」なんて言ってさ。
嘘吐き。
悲しいと血が滲むほど思い、怒りを煮えたぎるように覚う。
死にたくなるほど後悔しろ、私。
感情の道程が憎かった。
大晦日、花火大会の日、感情がどんどん移り行くのがたまらなく不快だった。
朝起きた時の期待が、昼頃に焦燥感に変わり、夜になると脱力し、明け方頃には耐えきれずに泣いた。
私の感情はジェットコースターかよ、とか言いながらその乗り物を嫌悪で満たしていた。
そんなことないんじゃないの、と今なら言える気がしている。
もう嫌だと思うことも死んでやると思うことも少なからずある。
何処にいたって突然、嵐のように恐怖が襲ってくる。
でもなんかもういっか~めんどくせぇしな~、なんて思えないんだよね。
死ぬか~って言って結局死なないんだ私は。
恐るべしホメオスタシス。
生命力に溢れてんじゃないの。醜いほど。
「絵を描くときに一番楽しいのは、どんどん黒色を書き込むこと。描けば描くほど楽しい」
「たくさん影を書こう。影をもっともっと書こう」
「うまく描けた!完璧だ!と思えない、失敗作も見せてください。そこに本当に大事なことがあるんです」